最高裁判所第一小法廷 昭和51年(オ)102号 判決 1978年7月10日
上告人
大和光子
外二名
右三名訴訟代理人
松尾利雄
被上告人
三村雄太郎
右訴訟代理人
井野口有市
主文
原判決を破棄する。
本件を大阪高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人松尾利雄の上告理由について
一原判決によれば、上告人らが本件請求の原因として主張するところは、次のとおりである。
(1) 上告人大和光子、同寺中壮夫及び訴外野口忠幸は、昭和四二年六月一二日から昭和四三年一月一八日までの間に株式会社入江工務店から第一審判決添付の目録に記載の三筆の土地(以下「本件土地」という。)をそれぞれ買い受け、手付を支払い、野口忠幸は、上告人野口桂子に対し、買主の地位を譲渡した。
(2) 上告人らは、昭和四三年二月八日、売主とともに司法書士である被上告人に対し、本件土地について所有権移転の仮登記手続を委託し、売主及び買主の委任状、印鑑証明書、資格証明書等登記手続に必要な書類を交付したところ、被上告人は、その数日後、売主からその交付にかかる登記手続に必要な書類の返還を求められ、買主である上告人らの同意を得ることなく、直ちにこれを売主に返還した。
(3) 売主は、それから程なく同年三月初めに倒産し、本件土地は、他に売却され所有権移転登記がされたため、上告人らは、本件土地について登記を経由することができず、結局、本件土地の所有権を取得することができなくなり、損害を被つた。右損害の額は、少なくとも、上告人らが売主に交付した手付のうちその後、売主から一部返還を受けた額を控除した残額に相当する額である。
(4) 登記権利者、登記義務者の双方から登記手続の委託を受けた被上告人としては、登記義務者からその交付にかかる登記手続に必要な書類の返還を求められても、登記権利者の同意がなければ、返還すべきではなく、これを返還したことは、上告人らとの委任契約上の債務不履行となるものであり、被上告人は、上告人らの被つた前記損害を賠償すべきである。
二上告人らの右主張についての原審の判断は、次のとおりである。
(1) 不動産の売買契約の履行として、売主と買主の双方が司法書士に登記手続を委託する場合に、右三者間に特段の約定がされない限り、各委任契約は、単純に併存するのにすぎず、一方が他方の制約を受けたり、運命を共にしなければならない関係にはなく、一方の委任者は、他方の委任者の同意を要することなく委任契約を解除することができる。
(2) このように、一方の委任者である入江工務店は、受任者である被上告人との間の登記手続の委任契約をいつでも解除することができるのであるから、受任者としては、登記手続に必要な書類の返還を求められれば、それを拒むことはできない。それ故、被上告人が入江工務店の求めに応じて右書類を返還したため、登記手続が不能になつたとしても、上告人らと被上告人との間の委任契約の債務不履行又は善管注意義務違反になるものではなく、被上告人に対して損害賠償を求める上告人らの請求は、理由がない。
三思うに、不動産の売買契約においては、当事者は、代金の授受、目的物の引渡し、所有権移転等の登記の経由等が障害なく行われ、最終的に目的物の所有権が完全に移転することを期待して契約を締結するものであり、法律も当事者の右期待にそい、その権利を保護すべく機能しているというべきである。そして、不動産の買主は、登記を経由しない限り、第三者に対抗しうる完全な所有権を取得することができないのであるから、登記手続の履行は、売買契約の当事者が行うべき最も重要な行為の一つであるということができるが、登記所に対して登記申請をするには、ある程度の専門的知識を必要とするから、現今の社会では、右のような登記手続は、司法書士に委託して行われるのが一般であるといつてよく、この場合に、売買契約の当事者双方がいつたん右手続を同一の司法書士に委託した以上、特段の事情のない限り、右当事者は、登記手続が支障なく行われることによつて右契約が履行され、所有権が完全に移転することを期待しているものであり、登記手続の委託を受けることを業とする司法書士としても、そのことを十分に認識しているものということができる。このことは、所有権移転登記手続に限らず、その前段階ともいえる所有権移転の仮登記手続の場合も同様である。そうすると、売主である登記義務者と司法書士との間の登記手続の委託に関する委任契約と買主である登記権利者と司法書士との間の登記事続の委託に関する委任契約とは、売買契約に起因し、相互に関連づけられ、前者は、登記権利者の利益をも目的としているというべきであり、司法書士が受任に際し、登記義務者から交付を受けた登記手続に必要な書類は、同時に登記権利者のためにも保管すべきものというべきである。したがつて、このような場合には、登記義務者と司法書士との間の委任契約は、契約の性質上、民法六五一条一項の規定にもかかわらず、登記権利者の同意等特段の事情のない限り、解除することができないものと解するのが相当である。このように、登記義務者は、登記権利者の同意等がない限り、司法書士との間の登記手続に関する委任契約を解除することができないのであるから、受任者である司法書士としては、登記義務者から登記手続に必要な書類の返還を求められても、それを拒むことができるのである。また、それと同時に、前記のように、司法書士としては、登記権利者との関係では、登記義務者から交付を受けた登記手続に必要な書類は、登記権利者のためにも保管すべき義務を負担しているのであるから、登記義務者からその書類の返還を求められても、それを拒むべき義務があるものというべきである。したがつて、それを拒まずに右書類を返還した結果、登記権利者への登記手続が不能となれば、登記権利者との委任契約は、履行不能となり、その履行不能は、受任者である司法書士の責めに帰すべき事由によるものというべきであるから、同人は、債務不履行の責めを負わなければならない。
そうすると、前記のとおり、被上告人に委任契約の債務不履行又は善管注意義務違反はないとして上告人らの損害賠償請求を排斥した原審の判断は、法令の解釈適用を誤つたものであり、その誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点に関する論旨は、理由があり、その余の点について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れず、更に、審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(岸盛一 岸上康夫 団藤重光 藤崎萬里 本山亨)
上告代理人松尾利雄の上告理由
第一点 原判決は、明らかに事実を誤認し、かつ、法律の解釈を誤つたものであり、右いづれにしても判決の結果に影響のあることは明らかであるから破棄は免ない。
即ち、原判決は本件事案に対し、「売買契約の当事者は売買契約にもとづく履行の関係として、登記権利者、登記義務者の関係に立ち、登記手続をする旨の合意をして、同一の司法書士に登記手続の委任をするのが一般である。しかし、当事者双方間の右合意と当事者双方と司法書士との間の右委任契約とは、右三者間に特段の約定がない限り、運命を別にし、司法書士は右の合意に左右されるものでなく、右委任契約に拘束されるだけである。さらに、登記権利者、司法書士間の委任関係と登記義務者、司法書士間の委任関係とは、右三者間の特段の約定のないかぎり、単純に併存しているにすぎないのであつて、ただ司法書士(受任者)が登記手続を行う時点までこの二つの委任関係が併存していなければ当該司法書士は登記手続を代理できないという関係にあるという点では、二つの委任は無関係でないといえるが、そのほかに一方の委任関係が他方のそれによつて制約をうけたり、運命を共にしなければならなかつたりする関係にはないものと解すべきである。そして、委任契約は当事者間の信頼関係にもとづくものであるから、特段の事由がなくても、委任者は民法六五一条により解除できるものであり、他方の委任契約の委任者の同意を要するものでなく他方の委任者に無断で解除することが双方の委任者間の前記合意に違反することがあつても、このことは受任者に対する解除の効力に影響を与えるものではない。」として、原審における控訴人らの主張を簡単に排斥している。
しかしながら、原審における控訴人らの主張の要旨は、「売買契約の当事者は売買契約に基く履行の関係として、登記権利者、登記義務者の関係に立ち、登記手続をする旨の合意をして、同一の司法書士に登記手続の委任をするのが一般であり、この場合、司法書士が一方の当事者から委任を他方の当事者の同意をうることなく無断で解除することは、前記登記権利者、登記義務者間における登記手続についての合意を他の一方当事者が破棄するに協力することになり、債務不履行または不法行為の責を負わなければならない。」といつているのである。
換言すれば、「かかる場合における登記手続についての委任も、委任そのものについていえば、他方の同意なくとも民法六五一条によつて特段の事由なくとも、自由に解除をなしうるけれども、解除の結果、登記権利者、登記義務者における登記手続に関する合意を破ることになり、登記手続を不可能ならしめることとなる。」と主張しているのである。
この点において、原判決は事実を誤認し、かつ、法律の解釈を誤つたものといわざるを得ない。かかることが容易に許されるとなると、上告人らが原審で述べているように、世上一般に行われている不動産取引において、司法書士に安心して登記手続を委任することができない結果となろう。
第二点 原判決は、審理不尽または釈明権の行使を怠つた違法がありこの違法が判決の結果に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄は免れない。
即ち、原判決は、その理由中において、「売買契約の当事者は売買契約に基く履行の関係として、登記権利者、登記義務者の関係に立ち、登記手続をする旨の合意をして、同一の司法書士に登記手続の委任をするのが一般である。しかし、当事者双方間の右合意と当事者双方と司法書士との間の右委任契約とは、右三者間に特段の約定がなされないかぎり、運命を別にし……」としているのであるが、右特段の約定があつたか否かについて、何ら釈明を求めず、また証拠調もなされていないのである。右は明らかに審理不尽または釈明権の行使を怠つたものといわなければならない。